大坂なおみの母・大坂環さんの年齢と職業は?壮絶な波乱万丈人生を初めて語る!

大坂なおみ選手の母親の大坂環さんが7月23日の世界一受けたい授業に講師としていらっしゃいます。

大坂環さんは今回、大坂なおみ選手をプロテニスプレーヤーになるまでに極貧も体験した壮絶な人生についてお話される予定です。

そこで今回は大坂なおみ選手の母、大坂環さんの現在の年齢と職業などを含め、波乱万丈な大坂環さんについてご紹介します!

大坂なおみ選手の母・大坂環さんの年齢と職業経歴

では大坂なおみ選手の母・大坂環の年齢と職業を順に追ってみましょう。

大坂環さん・年齢

大坂なおみさんの母・大坂環さんは2018年の雑誌のインタビューで47歳と紹介されていましたので、2022年現在は51歳です(誕生月にもよります)。

アラフィフと知って驚くほど見た目がパワフルでお若いですね!

大坂環さん・職業経歴

大坂環さんは北海道根室市出身で高校から札幌に出てきており、札幌にある北星学園女子短期大学実践英語科を卒業されています。

では卒業後の職業経歴を見ていきましょう。

札幌時代

大坂環さんは札幌にある短期大学卒業後は札幌市の金融機関に数年間勤務されています。

短大卒業後から結婚するまでの期間なので、20歳~24歳ころにあたるでしょう。

大阪時代

結婚後は大阪へ5年ほど生活し、その間は自営業と主婦を掛け持ちされています。

自営業は夫のマックス・フランソワさんが英語講師の他、輸入業を営んでいたので、そのサポートと思われます。

コールセンターでも勤務されていたそうですが、正社員になれず、夫の輸入業も赤字で極貧生活だったとか。

大阪時代に大坂環さんは大坂まりさん、大坂なおみさん姉妹を出産されています。

アメリカへ

大坂環さんは大坂なおみさんがまだ3,4歳の2001年にニューヨーク州へ移り住みます。

その後マイアミへ移り、そこで大坂環さんは日系企業に勤めて家計を支えます。

大坂なおみさん、まりさんをスポーツ選手に育てるためには費用もかかり、経済的には相当厳しかったはずです。

スポンサーがつくまでは厳しい状況が続いたことでしょう。

現在、大坂環さんは大坂なおみ選手を食生活や精神面でサポートしています。

大坂環さんの影響か、大坂なおみ選手はこんなヘルシーなサラダ作りをTwitterに投稿しています!

こんなおちゃめでかわいい、オリコン好きな女子スポーツ選手1位に輝いたこともある大坂なおみ選手を育てた大坂環さんの人生は波乱万丈でした。

詳しく見ていきたいと思います。

大坂なおみ選手の母・大坂環さんの波乱万丈な壮絶人生

大坂なおみ選手の母・大坂環さんの人生は波乱万丈で壮絶なものでした。

生い立ち~札幌でのフランソワさんとの出会い

大坂環さんは北海道根室市で生まれ、実家は地元の名士で大豪邸のお嬢様でした。

お父様の鉄夫さんは根室漁協の組合長で、長者番付にも名前を連ねたことがあるそうです。

そして大坂環さんは高校から札幌へ出てきています。

その札幌でハイチ系アメリカ人のフランソワさんと出会って交際をスタートします。

フランソワさんはニューヨーク大学を出て英会話講師をしていた縁で、札幌の短大で英語を専攻していた大坂環さんと出会ったのでしょう。

黒人男性と大阪へ駆け落ち時代・実家との確執

フランソワさんと順調に交際を進めていた大坂環さんですが、実家の父親から見合い話を持ち掛けられてしまいます。

そこでフランソワさんとの交際を打ち明けると父親の鉄夫さんは大激怒で結婚を猛反対

やむを得ず大坂環さんはフランソワさんは駆け落ち同然で結婚し、大阪へ移り住みます。

フランソワさんとの愛を貫いた大坂環さんは、大阪で大坂なおみ選手と姉のまりさんを出産します。

でも大阪には親戚もいないし、実家も頼れない中での2人の子育てはとても大変でした。

実家とは疎遠になり、全く連絡もとれていなかったのです。

アメリカで娘たちをセリーナ姉妹のようなプロテニスプレーヤーへと導く

経済的にも苦しい大阪時代、大坂環さんの救いは娘たちの屈託のない笑顔だったそうです。

そして夫婦で全米オープンを制したテニスのセリーナとビーナス姉妹を見たときに、こう決心したのです。

私たちが成功できる道はテニスしかない

こうして大坂環さん・フランソワさん夫妻はまだ幼い大坂まり・なおみ姉妹とともにアメリカに移住を決意します。

なおみがようやく頭角を現しスポンサーがつく

当初はフランソワさんの祖父母が住むニューヨーク州に移住。

そしてフランソワさんが大坂まり・なおみ姉妹をコーチとして指導していきます。

テニスとは無縁のバスケットボールやアメリカンフットボールの選手だったフランソワさんがテニスの指導をするのは、とても大変だったはずです。

その間、大坂環さんが外で仕事をして家計を支えていました。

2006年にフロリダに移住後も大坂環さんが日系企業に勤めて、大坂なおみさんのプロテニスプレーヤーとしての育成にかかる費用を工面します。

2008年に大坂なおみさんにがヨネックスとスポンサー契約を結ぶ頃には、大坂環さんは大坂なおみ選手の試合会場にも寄り添えることができるようになったようです。

それまでは大坂環さんは仕事で家計面を支える必要があったため、すべての試合に足を運ぶことはできなかったのです。

大坂なおみの母の年齢と職業は?まとめ

大坂なおみ選手の母親・大坂環さんはアラフィフの51歳で、現在もパワフルに大坂なおみ選手の活動を支えています。

大坂環さんはナイーブで精神面が不安定になることもある大坂なおみ選手にとって、本当に心強い存在ですね。

そんな大坂環さんは自身の壮絶な人生をつづった本も出版されています。

 

大坂環さんはフランソワさんとの愛を貫いて大坂なおみ選手・大坂まり選手という素晴らしい姉妹を夫婦で立派に育て上げました。

その人生は、豪邸のお嬢様として生まれたにもかかわらず貧乏時代も経験する波乱万丈なものでしたね。

でもその苦労は見事に実り、大坂なおみ選手は2021年には年収が76億円(5920万ドル)を超え、女子アスリートで1位に輝くほどになりました。

大坂なおみ選手の収入の大部分はナイキやルイヴィトンなどとのスポンサー契約によるもので、人気者であることの証明しています。

苦労を経て、娘たちをセリーナ姉妹のようなテニスプレーヤーにする、という夢を見事にかなえた大坂環さん

裕福な実家を飛び出して愛する人と駆け落ち同然で親戚もいない土地へ移り住み

そこで生まれた娘2人の成功を願ってアメリカへ移住……なんて凡人には考えも及びません!

普通は無謀な挑戦としか思えないですよね。

そしてまさかその娘たちが成功して、大坂なおみ選手は世界のトッププレイヤーにまで上り詰めるとは。

でもまだお若くてアラフィフの大坂環さんの波乱万丈人生はまだまだ道半ばかもしれません。

最近では本の執筆の他、TVやラジオにも度々出演されていますね。

大坂なおみ選手とともに、大坂環さんの今後の活躍も楽しみです。

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夫のマックス・フランソワさん(なおみの父)が、ハイチにテニスの学校を作ったそうで、そのお手伝いで忙しくなりそうなんだとか。(世界一受けたい授業でお話されてました!)

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